年数だけは立派な吹奏楽部お手伝いの話

地元中学吹奏楽部を10年以上お手伝いし何か残せればと思ったサイト

演奏が上手な学校に入れなかった!と思ったら、是非考えてほしいこと。

演奏が上手な学校に入れなかった。

うちの吹部は弱小だから。。。

こんな子たち、いませんか?

特に、新高校1年生からよく耳にします。

義務教育期間に 長いこと信頼していた仲間と別れ、 新天地で目の当たりにする現実。

まあ、気持ちはよく、わかります。

そんな時に、是非考えてほしいことがあります。 ちょっと妄想が過ぎるかもしれませんが笑、 楽しく読んでいただければ嬉しいです^^

早速ですが、ちょっと 視点を変えてみましょう。

弱小だと、何が問題? 上手になれない、と思っている?

ズバリ、上手になるために大切な事の 想像力が弱いだけでは?

演奏が上手な学校では、 充実した環境で、専属のコーチがピッタリ 自分は頑張りさえすれば周りが支えてくれる。

確かに、すごい。 自分が頑張りさえすれば。

自分が高校生まで指導するようになって 気づいたことなんですが、 いわゆる、演奏が上手な学校出身の子は、 意識が高い。なるほどと思う。

これはいいんですが。。。

「○○さん、次どうすればいいですか?」 「君はどうしたいの?」 「・・・・」

こういう子もかなり多いです。

いろいろ与えられて、頑張って吸収する3年間。 もちろん、それが無駄とは言いません。

ただこれでは、 自分が音楽をしているのか 自分が音楽をさせられているのか よくわかりません。

今の状態は、例えるなら、 栄養たっぷりな土ではあるが 花の種を植えていない、つまり そもそもそこで育つ自分の目が まだ見つかっていない状態かと思います。

悪いこととは言いません。 花の種さえ見つかれば すくすくと育っていくかもしれません。

その子にとって、花の種は何なのか。 これが重要。ただ、 それは、自分で見つけるしかありません。

花の種探しをしないまま続けていれば、 どんなに頑張ってもただの土のままです。

一方、 いわゆる弱小校に身を置いた子。

そもそも何もない。 土も、痩せている。

そこで頑張ろうとすることは、 何とか自己実現をしたいので、 って見れば、 痩せた土に無理やり種を植えるような ことをする。

でも、その種は、 何とか頑張って育とうとします。

痩せた土からでも何かを得ようと 必死になります。

必死に頑張った先には、 きっと、立派な花が咲くでしょう。

うまく、伝わったでしょうか。

自分が身に着けた、自分なりの音楽 ってのは、自分という花を咲かせるような ものです。

どちらが不正解とも言いません。

現状に合わせて、是非 種を植え、花を咲かせてほしいと 思っています。

ただ、 種を育てようとすることができる人は 土が痩せていようが、肥えていようが、 花を咲かせることができると思います。

が、

種を育てようとしない人は、 どんなに頑張っても、せいぜい 周りの土が良くなっていくだけで、 その幸せにも気づくことがないまま 時が過ぎていくことになります。

言いたいこと。

どんな環境でも、結局 自己実現をしようとする気概と、 環境のせいにせず、 そこでできることを頑張る。

何が正しいか、正しくないかではなく、 何が必要か、必要ではないかを考え、 今できることから取り組んでいく。

そうして咲いた花は、 きっと美しい。

ご参考になれば幸いです^^