高2自殺 過労死ラインの部活指摘 - Yahoo!ニュース について伝えたい事。
少しだけ身元バレになりますかね。。。
この記事、とても身近な問題だったりします。
まず、
「コンクールを肯定する人」と「コンクールを否定する人」
「部活をしたい人」と「部活をしたくない人」
もうこの前提が違うだけで、相容れない部分があるでしょうから、自分の意見というより、身の回りで感じることを中心にお伝え出来たらと思います。
コンクールが盛んだったり、有名校がある周辺地域では、やはり吹奏楽自体が盛んです。上手な子も多いし、地区予選突破も困難。
言葉悪くいってしまいますが、地区予選の方が県大会よりも大変だったり。
こういうところでは、コンクールに疑問を投げかけると、なんで?と、否定されることも多いです。顧問、生徒、保護者にまで。
記事にもありますが、市教委も上げて盛り上がっている地域ですから。
上の大会に進むと市から表彰されるし。
特に保護者は自信に経験がない場合、実技から遠いので、金賞=報われた。→子供頑張った→先生のおかげ。理由は説明できないけど。
そして経験のある保護者は、顧問が成果を残せないと積極的に発言(あまり良い意味ではなく)する方も出てきます。
いろんな意味で盛んです(笑)
つまり何が言いたいかというと、つらくなってしまった子から見た時に、周りが言うほど簡単に逃げ場が確保できないんです。
保護者も、顧問も、友達も(類は友を呼ぶとも言いますね)、コンクールに肯定的だった場合や期待されている場合、追いつめられる可能性は十分にあります。
本当に、つらいと思います。自分だって、信じていたわけでしょうし。
この学校、自分の教え子も何人かいます。
小学校からこの学校に憧れている子(親、先生)もたくさんいます。
(じつは、自分さえも、小学生の時に、顧問の先生がここに推薦状を書いたりもしていたそうです。)
自分もこの流れにうまく乗ったほうが上達できたかもしれないのに?なぜそんな環境にいながら、こんなグダグダと疑問を投げかけているかというと、
自分が音楽に興味を持ったきっかけは、オケでした。オケでラッパが吹きたい。
ところが吹奏楽部しかない。吹奏楽ってなんだ?という、小学校スタートだったからだと思います。
当時からこの高校は有名で、意識高くここを目指している子は上達も早かった。
それは凄いこと。
ただね。。違和感があったんですよね。当初から。
強豪?強いとか弱いとか、なんだ?
上手いとは思うけど、自分が目指す音とはちょっと違うな。
自分の代わりにレギュラー落ちした子から恨まれてる・・・?
なんだ?それ。
そしてこの記事。
どこまで追い詰められてしまったんだろう。どこまで絶望感で埋めてしまったんだろう。周りだって気づいたら止められたのかな。もっと頑張れって言ったのかな。色々考えてしまう。
こんなわけで、
少なくとも自分に関わってきた子たち(かかわってしまった子たち?笑)には、みんなが無事に、満足して卒業するために、決して追いつめられてしまわないために、中学時代に伝えた事を少しでも思い出してくれるといいなと思っています。
コンクールは、目標にするには良いが、目的にしてはいけないよ。
コンクールのために頑張るんじゃなくて、
上達して、音楽をより楽しむために、コンクールを生かす。
音楽ってね、幅広いの。
プロ奏者=コンクール全国経験者じゃないの
良い指導者=以下略笑
別ジャンルのプロ(の友人)から言わせると、大勢で整然と揃い切った演奏は逆に違和感を感じることもあるそう。
いろんな見方、いろんな楽しみ方、いろんなモチベーションの持ち方、あると思うのです。
コンクールメンバーに選ばれなかった→自分には音楽は向いてない。
じゃ、ないから。
自分なりに目指していた音楽とコンクールの相性がずれただけかもしれない。
コンクールで金賞取れなかった→私には才能ないかも。
じゃ、ないから。
そもそも才能のあるなしは、才能のある人にしかわからないから。矛盾してるよ?
コンクールを目標にして、賞の色が上がったでも何でもよいが、
なぜ、上手くいったのか、どこを改善できるのか、
そういうところを深堀して、次につなげてほしい。
賞の色は、取った瞬間、過去のもの。
講評用紙に書かれていることは、未来のためのもの。
講評用紙を大切にしてね。
パパっと書きましたが、
こんな話を良くしています。
いずれ、金賞をとった学校の生徒だけがギャーと喜べる場ではなく、銅から銀になった学校も同じように喜べる場になってほしいなと、互いをたたえる拍手を贈れるようになればいいな思っています。
あまりまとまりがありませんが、そんな感じです。。