年数だけは立派な吹奏楽部お手伝いの話

地元中学吹奏楽部を10年以上お手伝いし何か残せればと思ったサイト

「続ける」ということは、継続すること、にあらず。

コロナの影響によって、今年は様々な影響がありました。

この記事をご覧の皆様にとっては

コンクールやイベントの喪失 練習機会の喪失

これらのことが切実だったかもしれませんね。

もう、取り戻せない。

確かにそういう側面もあるかもしれません。

一つ一つのイベントを大切に思えばこそ、 その機会が失われることのショックは 大きかったでしょう。

そして、そのために積み上げてきたこと。 毎日毎日一生懸命練習してきたこと。

それが、途絶える。

これから来る不安感も相当あったはず。

今更復帰しても、 本領発揮できない、 一年生に教えられない。

こんな相談もたくさんいただきました。

継続することができなくなる。

それによる実力の低下。

・・・

ちょっと、見方を変えてみましょう。

なぜ、 コンクールやイベントを頑張りたかったんでしょうね。

なぜ、 練習をつづけたかったんでしょうね。

おそらく、 上達したい。 自分の頑張りを見てもらいたい。

こういった気持ちが根っこにはあるはず。

1日休むと3日分の遅れ、とかいう 言葉を聞いたことはありますか?

こんなこと言われたら、 休むこと≒悪 みたいになってしまいますよね。

毎日練習しろーって ただ言い続けてきた先生方や先輩方は いきなりそれができなくなったときに みんなにどんな言葉を かけることができたでしょうね。

だから、不安になる。

なるほど。

私から見れば、こうです。

 

「続ける」ということは、 継続する(途絶えない)こと、にあらず。

「続ける」ということは、 一生それを嗜(たしな)むことである。

 

音楽は、一生もの。 これもよく聞く言葉です。

自分のライフワークの中に、 音楽を嗜むという手段があって、

ときには、 異常なくらいの情熱を注いで 上達にまっすぐ向かうもよし

気持ちの赴くまま演奏するもよし

そういったことで、生活を豊かにする。

その為の実力を維持するために、

できる範囲で、取り組む。

こういったことが大切ではないでしょうか。

目標と目的のずれが、 起きているようにも思います。

コンクールのために、音楽をするのか。 音楽を豊かにするために、コンクールに挑むのか。

前者であれば、 コンクールがなくなると、音楽とは? となるかもしれませんが、

後者であれば、 では別の手段で、と自然に考えられます。

だから、 途絶えることに対する不安も和らぎます。

高校三年生の夏は、今しかない!

こんな言葉もよく聞きます。

高校三年生の夏に、 コンクールに出場し、 立派な賞を取って、 自分の人生に色を添える。

こういったイメージでしょうかね。

そして、音楽をやめる。 新たなことに取り組む。

すごく筋が通っていると思いますが、

多分、 音楽って、そういう性質の物じゃなくて、 普段ヘッドホンで聞いたり、 鼻歌を歌ったり、

とても身近なものだと思います。

高校時代に一区切り、 という設定をしてしまうことで、 もしまた再開したいなと思ったとき、

あの頃のようには頑張れない。

と、思い込まないように願う限りです。

自分の話で恐縮ですが、過去、

受験のために、中学時代は 3年間、楽器を触りませんでした。

社会人になって、仕事の影響で 10年間、楽器を触りませんでした。

いま、 ご覧の通り、 多くの方と音楽をさせてもらっています。

長い目で見れば、これも 「続ける」ということになっていて、 嗜(たしな)んでいるなと自覚しています。

不謹慎な言い方で恐縮ですが、 こういった経験があるため、 コロナによる数か月の中断は、 自分にとっては別の方法で嗜む機会を 得たと思っておりました。

オンラインレッスンを試みたり、 教え子たちに一日一問クイズを出してみたり笑

あらためて、今回の中断で一番つらかったことは、

コロナで練習できないという 自らの思い込みによって 仲間と一緒に嗜む時間を減らしてしまったこと。

私にとっては、これでした。

今思えば、オンラインだとしても、 もっと接点を作るとか、 オンライン合奏にチャレンジしてみるとか、 まだまだできることはあったなと思うし、 これからも出来ることだと思います。

我々、 これからも 音楽を嗜んでいきましょう!

ご参考になれば幸いです^^