年数だけは立派な吹奏楽部お手伝いの話

地元中学吹奏楽部を10年以上お手伝いし何か残せればと思ったサイト

【オレ流】指導の現場に立つ意味を振り返ってみる。

別に 自分が、みんなに凄いって言って貰ったり 現場を面白おかしくして 人気者になりたくて そこに立っている訳じゃないんだよなあ。

みんなが興味関心を持ち始めたり 自分たちで考えたり行動したり してくれるようになって欲しいから、 そこに導くために、いるんだよな。

なんのために、それをするのか。 その問いを投げかけたり、 一緒に考えたりする。 これが楽しい。

そのために、 必要があれば 叱るかもしれない 必要があれば 贔屓だってするかもしれない

不公平?

まず。そもそも、 公平と均等を履き違えちゃいけないと思う。 一人ひとりに個性がある以上、 みんなが自分たちで 取り組めるようになるための 必要量だったり 内容の違いはあるはず。 ない方がおかしい。

なので、一人一人に、必要なことを 注いであげたい。

ただし、 ある子をハイライトして、 その子だけを叱る(怒ることももちろん)ことは 絶対にしない。

それによって、 ほかのみんなのやる気を削いでしまうから。 するなら、全体とかチーム単位。

逆に、 ある子をハイライトして、 自信を持たせることが、 ほかのみんなのやる気を引き出すのであれば やる。贔屓とはそういうことの例え。

あと、現場を通じてわかることは

怒ることと 怒鳴ることと 否定することと 脅すこと

こんなものが必要だったことは まずない。

一方、 部活がうまく回り、みんなが興味関心を持つ チャンスを逃さないよう 大切にしていることがある。 それが、 ・聞く事 ・待つ事 ・認める事 という、三代栄養素。 (依然詳しく書いた記事がります。詳しくはこちらをご覧ください)

お手伝いを始めた 最初の頃、自分はガキだった。

間違えた指導をしないために 習ったことしか教えない。 知ったかぶって確信のないことを教えるよりはマシ これしか考えていなかった。

でもそれだけだと、 自分を守ることにしかならないんだよな。

その後、自分の中で、

必要なら自ら学べ。力を借りろ。 不要なら自分の経験でも捨てろ。

学び方は子供より長けているはず。

頭の中身を見せていくんじゃなくて こうやればいいんだという 学ぼうとする背中を見せろ

こんな感じに変化してきた。

方法はシンプル。

誰にも負けないくらい 興味関心を持ち続けるだけ。 そうすれば、 諦める姿勢を見せる暇もないから、 みんなが同じほうを向く。 そういうメンバーが集まって 曲が仕上がっていく。

その結果、みんなにとって 良い反響があれば素直にうれしいだろうし、 そうでなかったとしても、 共通の思い出と努力と意識が下地にあるから、 また皆で頑張れる。

また、自分自身の成長によって、 考えが深まったり、詳細が具体的に 詰まったりしてくるかもしれない。

そういったことはどんどん現場に生かしていく。

それによって、 みんながそうしたいと思って行動できる 場が増えたり、醸成されたりしていく。

指導の現場に立つ意味を、 今のところ、そんなイメージで 考えている。

ご参考になれば幸いです^^