頑張るのは、吹奏楽?音楽?あるいは?
この質問をすると、答えが様々で非常に面白いんです。
・吹奏楽と答える子 ・音楽と答える子 ・楽器と答える子 ・合奏と答える子 ・レッスンと答える子 ・コンクールと答える子 ・答えられない子(笑)
などなど。 ビジネスマン用語でよく言われる言葉を拝借するなら、 粒度が異なるんですね。
これだけ様々なのに、次のアクションが大体一緒。 それは、
先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。
本当ですよ? 少なくとも自分がお手伝いに呼んでいただく学校は ほぼここからスタートです。
もちろん、これは幼少期つまり小学生の方が 多い傾向があります。
でもこれ物凄く違和感があるんです。 試しに書いて可視化してみると。。。
・吹奏楽と答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。 ・音楽と答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。 ・楽器と答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。 ・合奏と答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。 ・レッスンと答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。 ・コンクールと答える子 →そのために、先生の言うとおりに演奏できるように頑張る。
伝わりましたでしょうか。。違和感(笑)
全部、先生が言うのでしょうか。 先生を妄信しすぎです。
ご自身が好きで取り組んでいらっしゃる先生であれば、 おー!なんでもこいやー!かもしれませんし、
特に経験もなく顧問を任される先生にとっては、 こんなにカバーしなければならないの?
という感じになりますよね。
そして、自分たちが考える要素や時間が少ないことが 深刻な問題だと思っていまして、
こういう子にこういう質問をするんです。 「それで君は、どうしたいの?」
答えられない、もしくは、頑張りたいと答える(笑)
語彙力や表現力も少ないですね。。。
こうなったときに自分が初めに行うのは、 こんな感じです。
・楽器を置く ・みんなで囲んで座る
そうです。じっくり考える時間を取るんです。 そして、
みんなが頑張りたいことって、つながりがあると思わない? と、投げかけて、整理していきます。 またもやビジネス用語でいうところのwhyツリーかな。 なぜ?(何のために?)なぜ?(何のために?)の連続
要するにここで粒度別に整えるんですね。
今回の記事の例でいうと、
音楽をやりたい→そのために吹奏楽を頑張る。 吹奏楽を頑張るために→合奏できるようになるために、 楽器を操れるようになる。→そのため、楽器をを手にする、 レッスンを受ける。
こんな要領で。
はい。ここで唯一登場しなかったキーワードである。 「コンクールを頑張る」
どこにあてはめましょうかね? 何のために、コンクールを頑張りますかね?
こうやってみんなの考えを寄せていく。 そうすれば、コンクールでの頑張りをどう生かせるのか、 はたまた自分の学校にコンクールという手段が必要なのか 具体的になり、かつ共感ができます。
はたまた、 それは、自分が楽器をやり始めるきっかけになった 音楽へのあこがれに寄与するのか。とかも含めて考える。
一度でもこういう時間を取らないと、 皆の思いがばらばらのまま時が過ぎます。
そして考えることをしなければ、 先生の言うことを聞いていれば自分の行動は 正しいと思ってしまうし、それ以上のことを考えなかったり 自分で動くきっかけを起こしにくいと思います。
こういった方向に導く、つまり指導できると 理想的だなと思います。
昨今の吹奏楽をたしなむ子はコンクールで賞を取る=上達の証拠 みたいになっていることが少なくありません。
せっかくの活動原動力なのですから、否定することはないです。
ただ整理して考えてみて、 ・自分の頑張るべきことを具体的にすること ・周りの思いを理解すること ・そのうえで自分で良しと思ったことに向けて動くこと そのための手段としてコンクールが活かせたらよいですね。
ご参考になれば幸いです。