年数だけは立派な吹奏楽部お手伝いの話

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自由曲について、少々過激なご提案。。。

自由曲の楽しみと、制限時間の存在

自由曲… コンクールの演目で課題曲と別に演奏するもの これがあることで、 ・学校の編成の強みを生かした演奏が出来る、とか、 ・聴きに来た生徒がこれまでやったことのない曲に出会え、次の目標にできる といった、楽しみな側面もあるかと思います。

とはいえ、もしも、どの学校も大曲を演奏すると、 審査が夜通しかかってしまいます笑

そう考えると、”制限時間”の存在はやむを得ないかもしれません。

しかし、当然、摩擦は他の場所で起きます。

時間制限によって起きるコト

代表的なのが、曲のカットです。 曲の流れの中で区切りが良い?と判断される場所をバッサリ。 楽章単位に分かれているものはまるまる一つの楽章をバッサリ。 とか。

さらに、「このカットは審査的に影響が出ないのか?」という 会話が聞かれることも。。

そもそも、カットしてまでその曲を演奏したいのでしょうか?

自分は正直言いまして、首を傾げてしまいます。 作り手の気持ちを考えてしまいます。 ほんの少しですが作編曲をしたことがある身としては、 それをバッサリと落とされるのは考えたくありません。 (明らかに冗長だなと思う曲もありますが、そこは作曲家に敬意を評し云々)

もう一つの側面

さて一方。 昨今、ブラック部活対策の一環で地域をあげて練習時間短縮が進められています。 正直、これ自体を覆すことは困難と思いますし、助かる方がいらっしゃるのも事実。 そういう、見えにくいところをなんとかするために強権発動された という側面もあると思います。

ですので、今後は限られた時間で中身の質を高めていく。 こういった課題の持ち方は、今の世の中の状況を考えれば それほど不思議な感覚ではありません。

そこで、少々過激なご提案。。。

そこでです。 コンクール、演目を課題曲だけにしませんか?

・練習量が半分にできる ・コンクール開催時間も半分にできる ・審査も公平性を増す ・限られた時間で、曲をカットせず、作り込みに集中できる

コンクール会場での自由曲の楽しみはなくなるかもしれません。 しかし言い換えれば、 その団体にしかできないことであれば、持ち帰っても実現性が低く、 カットした曲を知ってもらうのも本当に文化的活動と言えるか悩ましいです。

確保できた時間の使い道と、まとめ

ここで確保できた時間を、別の形での、曲の出会いに向けてはいかがでしょうか。

昨今、プロの皆様がもっと聴きに来てと声を上げていらっしゃいますし、 そういった時間もとても大切と思います。

演奏するだけでなく、演奏を聴くこともとても大切です。 当事者の負担や拘束時間も減ります。 審査の公平性も増すかもしれません。

以上です。ご参考になれば幸いです。