年数だけは立派な吹奏楽部お手伝いの話

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子供と大人の楽器への接点の違い

楽器、楽しいです。少なくとも、こんな形でみんなと取り組むことができる自分は幸せです。 子供たちにもっと楽しさを知ってもらいたい。困っていたら助けたい。

でも、気をつけないといけないなと思っていることがあります。それは。。。。

子供と大人の楽器への接点の違い

楽器とどこで接しているかという話。

子供:学校(楽器)→→→プライベート 大人:仕事→→→プライベート(楽器)

子供は学校で楽器に接します。そのあとに部活から解放されます。 大人は、仕事から解放されてから楽器に接します笑。(アマチュアの話です)

子供は部活が終わってからのほうが元気だったりしますよね? そのあと遊びに行ったりとか楽しみなんだと思います。 そんな元気なら部活もっと頑張れー!みたいなツッコミも聞こえてきそう笑

一方大人は、楽器自体がそれ自体が楽しみだったりします。

好きで吹奏楽部のお手伝いをするような人はおそらくどちらも経験されていると思いますが、 この感覚の差があるってこと、気をつけていたいです。

子供たちに与えるべき二つのこと ・楽器を手段に学校活動を充実させること ・プライベートの時間をちゃんと確保すること この二つが提供できてこそ、糧になるのではと思います。

大人は楽器に取り組むこと自体がプライベートでありリフレッシュになるので、 いくらでもやればいいと思います笑

でも、

楽器や部活を通じて成長して欲しいのであり、 楽器や部活で燃え尽きて欲しくないのです。

例えば、コンクール金賞という目標を掲げる学校は多いと思いますが、 結果に向かってまくし立てたり、負担が大きい練習をさせたり、時間を多く確保したり。

もちろん、結果を得ることができれば一定の達成感は有ると思います。

でもそれ、子供のため?大人のため?

子供は上の二つのことが提供できてこそ、練習にも向き合ってくれると思います。 それを、逆らえない大人の主導で乱したりしたら、達成した後その環境から抜け出したくなりませんか。 燃え尽き症候群ってやつです。

大人だって仕事で接している方もいらっしゃるでしょうし、 金賞という結果を達成しようとすることは否定しません。

ただ、接点の違いに気をつけつつ、どうしたら実現できるかを考えていく、としなければ、 自分たちが大好きだった音楽をしてくれる子供が減ってしまいます。

しかし、逆もまた然り

プライベートなんかなくて、家に帰れば勉強、勉強な子もいるでしょう。 そういう子は楽器に接している時間が楽しい。 これでリフレッシュできるならいいです。が、今度は楽器に逃げ込んで学問がおろそかにならないよう、 保護者と状況確認しながら取り組まないといけないと思います。楽器に逃げてはダメ。

そうは言っても、それでは強豪に勝てない。。

私の地元に、強豪校があります。

でもそこは、部活としてとてもきちんとしています。礼儀、率先した行動、乱した時は厳しく接する。 保護者もそれを知らない人が多いようです。金賞が沢山とれるからすごいって見方はちょっと浅すぎます。

そうではなく、子供の楽器への接点を考え、与えるべき二つのことを考慮し、メリハリをつけることで、 自主的に、集中的に取り組む意欲が増し、より良い活動の中で切磋琢磨していく環境がどんな学校でも 当たり前になってくる。

強豪に勝とうとするの、それからでもよくありませんか?

多分その方が、子供たちの自主性、積極性、集中力が増し、より音楽に深く接し、音楽がもっと好きになる。 そんな子供たちが大人になり、音楽を通じて子供の成長を促す次の担い手になる。 それがどこでも普通に行われるようになれば、強豪の意味自体が変わってきます。 なぜならどこの学校に行っても、どうやって子供たちの活動を充実させたかで競われるようになるからです。

子供と大人の楽器への接点の違い、というお話でした^^。